DropFrame

un ange passe

 ただ何もやる事がなくて部屋でのんびり過ごしていた。
ルッツは椅子の背もたれを抱きしめるように反対向きに座って本を読んでいて、
シェリルはベットに横たわりながら彼女もまた本を読んでいた。
外はぬけるような綺麗な青空をしていて、
町の子ども達の楽しそうな声が部屋に響いている。
留守番を命じられている二人は外に出かける事も出来ないまま、
ただ時間を消費する為だけに本を読んでいるのだ。


「あ、天使」


 ぽつりとシェリルが呟いた言葉にルッツは俊敏に反応する。
え、天使?なんていったこいつ天使って言った?
部屋にはルッツとシェリルの二人きり。
もちろん天使なんてものもこの部屋にはいない。
だけど彼女はふと、呟いたのだそう、「天使」と。

 ということは。ルッツは頭を働かせる。
シェリルの事だからまさか自分の事を「天使」なんて呼ぶ訳ないだろうし、
となれば天使に当てはまるのは俺だろう。
俺か?俺が天使?神々しいってことか?いきなりの褒め言葉にすこし心が揺れる。
滅多に褒めてくれないのにどうしたんだ今日は。
なにか感謝されるようなことしたっけ。
え、もしかしてからかわれてる俺?

 椅子の背もたれに顎をつけてううんと唸るルッツ。
そんなルッツの様子を見て、シェリルが怪訝そうに顔を歪める。


「あんたのことじゃないよ」
「え、じゃあ自分の事言ったのか?!」
「違う!テオが言ってたんだよ、天使が通るって」
「天使が通るう?」
「こういう沈黙のときは大抵天使が通ってるんだって」


 天使ねえ、可愛い表現だこと。
ルッツが呟くと、彼女は少し顔を赤らめながらそっぽを向いてしまった。
それにしても天使か。なんかテオらしい表現だな。
こういうのなんて言うんだ。女子力だ、そう女子力。
まあテオに女子力っつーのも変な話だけど
いかんせんこのパーティには女子力の欠片もないやつらが集まってるからなあ。
ルッツはぼそりと、女子力、と呟く。
すぐにシェリルが、なくて悪かったわね、と言葉が投げ返される。


「まああるって言ったら嘘になるけどよ」
「え、なにあんたけなしてんの?褒めてはないよね?」
「いやでもそうやって努力するのはいい兆候だと俺は評価する」


 うんうん、と頷くルッツに、あほくさ、なんて彼女は言葉を吐き捨てる。
そうは言っても女子力は大切だぞ。料理とか、裁縫とか、
もはや生活力と言ってもいいくらいだ。
続くルッツの言葉にシェリルは少し反応する。
生活力、彼女は呟く。
そう生活力。ルッツも頷く。


「あたしだって少しは料理できるさ、その裁縫だって多少繕うぐらいはできる」
「まあ一人で暮らしてたんだろ、そのくらいは出来るだろ」
「なんだよ!あんたが言い出したんだろうが」
「そうじゃない、そうじゃない。ただ作るだけじゃなくて、
 こう彩りを添えたりとか、食べる為じゃなくて、見せる可愛さ?」


 なんだそれ、と悪態を吐くシェリルだが、
口とは裏腹に、彼女は身体を起こしてルッツの方を向いて座っている。
完全に興味が本から話題へ移ったようだ。
ルッツも読んでいた本を後ろのテーブルに置いて、また話しはじめる。
例えばポテトサラダをアイスみたいに丸く盛ってみるとか、
上にプチトマトのっけてちょっと可愛いーみたいなのが女子力だろ。
そう言うと彼女は少し小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「あたしだってそのくらいは出来るさ」
「ほーう、言ったな?」
「あんたと違って手先が器用だからね」
「にゃにー!俺様の方が器用だっつーの!」
「大体料理なんておいしけりゃいいんじゃないの」
「はい減点ーそういう発想が女子力ない!だめ!!」


 ルッツの言葉にシェリルはしゅんとしおれてしまう。
あれ、言い返されると思ったのに。
拍子抜けするルッツの頭に一つの仮説が浮かび上がった。
もしかしてこいつ、女子力高めたがってるのか?


「え、なにシェリル女子力ほしいの……?」
「そりゃ、ないよりあるほうがいいだろ……」
「見せたいやつがいるとか?」


 おそるおそる聞いてみる。
彼女は耳まで顔を赤らめて、あんたには関係ないだろ、と顔を背ける。これは……。
ルッツは背もたれをぎゅっと握りしめる。
これはこいつ、好きな人がいる反応だ……!
わかりやすい!わかりやすすぎるだろシェリルさん!!

 聞きたいような聞きたくないような。
心の中での葛藤の末勝ったのは好奇心。
未だに照れ続けているシェリルにルッツは意を決して話しかけた。


「……ちなみに誰?アレク?テオ?」
「ち、違う、アレク達じゃない」
「……俺?」
「頭おかしい?」
「ちょっといきなり真顔に戻らないで怖いから」


 名乗り出た瞬間に彼女の顔が般若に戻った。
しかしそのままふいと顔を背けて、また顔を赤らめる。
なんだこいつ乙女か!こういうところを見せたら女子力なんていらないだろうになあ。
勿体ないなあ。
それにしても誰だろうか。俺たちじゃないとするとギスレムの奴か?
それなら街を出るときにもうすこし名残惜しそうにするよな。ということは、誰だ?


「……トッシュさん」


 ぽつり、彼女から言葉がこぼれる。
トッシュさん?聞き返すと彼女の顔はみるみる赤くなる。


「ええええ!トッシュさん!おっまえそれはちょっとハードル高すぎだろ!」
「違う!!好きとかじゃなくて!!憧れだっつーの!!」
「憧れってあの人隠れ女子力高いぜ!?押し花とかしてるんだぜ!?
 お前のその豆粒程の女子力じゃあ消されちまうぞ!!」
「だからこうやって女子力とはなんたるかを聞いてるんじゃないか馬鹿ルッツ!!」
「聞いたってそんな付け焼き刃でなんとかなるもんじゃねえよ!!
 お前じゃあ花言葉言えんのか!小粋な料理つくれんのか!!!」
「なんなんだよあたしだって料理できるし!
 花言葉はそのううんでもこれから高めていけば良いだろうが!」
「高めるってもっと女子力相応のやつでいいだろそれは!!」
「なんだよ例えば誰だよ!!!」
「俺とか!!」
「えっ」
「あっ」


 室内が水を打ったように静まり返る。
お互い気まずそうに目線を逸らしてしまう。
そうしてちらりとお互いが互いの様子をうかがう為に目線をやると、
ばっちり目が合ってしまった。


「……天使が通ったな、今」
「そうだね、天使が通ったね」
「悪いけど俺様もうちょっと胸が大きいお姉さんが良いから」
「あたしももう少し大人の人がいいわ」


 そうしてまた訪れる静寂。


「……今日は天使がやたら通るな」