DropFrame

Sweet Moon

 まるで風のような人だった。
誰にもとらわれずにただ一人で彷徨う、風のような人だった。
一回だけ、運命の悪戯で交わった軌跡、でももうきっと交わる事もないでしょう。
私と貴方はきっと、そういう運命なんだと思う。
「運命」なんて、私が使うなんて不思議な感覚だけど、
彼との関係を表現するにはこれほどぴったりな言葉はないと私はそう思っている。

 「大災害」の後、去っていく彼に声をかけた。
どこへ行くの。彼は答えた。どこだろうな。私はその返答を、彼らしいな、と感じる。
どこへ行くか明確ではなく、ただ気の向くまま吹くままに、彼は歩んでいくのだ。
だから私は彼に惹かれたのかもしれない。
自分ではできそうにない、自由な生き方に。

 本音を言うと少しすがってみたかった。
一緒にいよう、とか、そばにいてよ、とか。
でもそれは私じゃないな、なんて小さな意地が心の中に芽生える。
しかし去っていく彼を少しでもつなぎ止めたくて、口から出たのは曖昧な言葉。


「また会えるかしら」
「……会えるさ」
「そう……」


 彼は少し悩んだ後言葉を吐いた。
即答しなかったのは、少しでも考えてくれた証拠。
私だってこの後どうするか決まっていない。会える確率なんて奇跡に近いのに。
それでも彼は答えてくれた。会えるさ、それだけで十分。
じんわりと広がる暖かい気持ちを逃がさないように、胸の前で手をぎゅっと握る。


「また、月の綺麗な夜に」
「あらなにそれ、シュウにしてはロマンチックじゃない」
「女性はそう言うのが好みと聞いたが?」
「ふふふ、そんな事も言ったかもね……そうね」


 風が凪いだ。少し肌に染みる、冷たい風。
お別れだよ、そう私に言い聞かせるように、彼と私の間を吹き抜ける。


「じゃあ、また月の綺麗な夜に」


***


 そうして、どのくらい季節が過ぎただろうか。
月の綺麗な夜どころか、随分季節が過ぎた気がする。
心の中で少女のように待っている自分と、もう来ないわよ、と
冷静に事を見つめる自分が居る。
大半の時間は冷静な自分がそっと支えてくれるけど、
優しい風が凪いだり、今日のような綺麗な星空の日には、少女の自分が顔を出す。
もしかしたらくるかもしれない。こないかもしれない。
自分の女々しさにため息が出る。
まだこんな気持ち、私も持っていたのね。

 何かに導かれるようにケープを片手にそろりと外へ出た。
外は程よく肌寒く、こうした浮かれた妄想を落ち着けてくれるようだ。
あの頃から少しだけ伸びた髪を、いたずらに風がもてあそぶ。

 夜空にはぽっかりと穴があいたような月が浮かんでいる。
満月なのね。満ち足りている月の形に、ほんのりと懐かしい気持ちになる。
昔こうやって星空を見上げたっけ。
それはアルと、そうしてシルバーノアの皆と、満月の思い出が頭の中に駆け巡る。
それは例えばサニアと暖かい飲み物片手にだったり、
トッシュとお酒片手にだったり、そうそして。


 シュウと、二人で見上げたこともあったっけ。


 さわり、と木の葉が揺れる。
風の行く方向へ何気なく目をやると、そこに立っているはずがない人影が見えた。
言葉を失う。
なんで、どうして、あなたが。


「変わらないな、シャンテ」
「シュウ……?」


 随分と伸びた髪の毛が、風に揺られてまるで波のようだと、私は思った。
綺麗ね、と自然にこぼれた言葉に、彼は首を傾げる。
しまった。言うんじゃなかった。
私は口元を押さえる。


「久しぶりね、随分髪、伸びたわね」
「むっ……そうだな、確かに」
「願掛けかしら」
「さあな」


 シュウは何事もなかったかのように隣りに立つ。
こうして自然に私の中に入ってきちゃうところが、本当にずるい。
そうして許容してしまう私も私ね。

 何年かぶりの彼の横顔を見る。
こうして間近で見ても変わったのか、変わってないのかいまいちわからない。
でもすこし目元が優しくなった気がする。
それでもぶっきらぼうに答える彼はやはり変わらないし、
これからも変わらないのだろうな。
そんな事をしんみりと感じてしまった。


「仕事かなにかかしら?」
「いや、その」
「なによはっきりいいなさいよ」


 軽口を叩く、ただそれだけで心が跳ねる。
こうして会えた奇跡と、また会話が交わせる奇跡。
いきなり降り注いだ幸運に多少私は興奮気味でいた。
しかしそれを悟られないように、懸命に心を落ち着かせる。

 そんな私とは対照的に、
シュウは少し眉の皺をひそめてもごもごと口の中で言葉を転がしているようだ。
言い辛いことなのだろうか。
まごまごしている間に一陣の風が私とシュウの間を通り抜けて、どこかへ抜けていく。
その風に一押しされるかのように、彼は言葉を吐きだした。


「月が、綺麗だから」


 そうしてまた一つ、風が吹いた。
それは本当に風だったのか、それとも私の心にだけ駆け巡ったのかはわからない。
それでもぽっかりと空いた私の心を満たすように
勢いよく風が流れ込んできたのは確かだ。
そうしてそれが胸にあふれて、じんわりと目頭を熱くなる。
やだ、覚えてたんだ。
覚えていてくれたんだ、という気持ちと、
本当に会いにきてくれたんだという喜びで、胸が締め付けられた。


「……そうね、月が、綺麗だからね」
「その、迷惑だったか」
「迷惑だなんて、ああ、でもね、シュウ」


 なんだ、とシュウは私を見つめる。
ぼんやりとにじむ視界を、手でそっと拭き取ってクリアにする。
そうして映ったのは綺麗な星空と、ずっと会いたかった、愛しい人。


「月はね、いつでも綺麗なのよ」