DropFrame

起きたらサタンの部屋にいてびっくりする留学生ちゃんの話

 君は行間を読む努力をしたほうがいい、とサタンは言う。本を嗜む彼らしい言い回しだったけれど、一体何がどうやったら『朝目覚めたら』『美丈夫の部屋(しかもベッド!)にいて』『部屋の主がベッドに座り、脇で私を見下ろしている』という展開になるのだろうか。行間を読むよりも先に情報を開示してほしい。名高い名探偵だって、情報がないことには推理は出来ない。
 しかし一人盛り上がっている彼は、嬉しそうに右手いっぱいに私の頬を撫でた。
「……襲われてる?」
 私の言葉に、彼は酷く楽しそうに笑う。そして「惜しいな」と親指の腹で私の目尻を擦る。布団に入っていないからだろうか。随分とその指は冷たい。まるで氷のように冴えた温度は輪郭を確かめるように肌を滑る。
 見上げた彼の唇はきっちりと結ばれていて、私の次の言葉を楽しそうに待っていた。昏い笑みが広がるその唇に、さらに混乱が広がる。私はちゃんと部屋で寝ていたはず……いや、部屋で寝ていたっけ? 少なくともサタンの部屋では無いけれど……そうだリビングルーム。あそこで本を読んでそのままうたた寝をしてしまったんだ。
 けれど、ということは! には全く繋がらない。なぜならルシファーからよく注意される程度には、リビングルームでのうたた寝はままあることだったからだ。大抵ルシファーが毛布を掛けてくれるか、世話焼きのマモンが部屋まで運んでくれるか、そのまま放置されるかの三択なのだけれど……こんな展開は初めてだ。寝ぼけてサタンの部屋に押し入っちゃった? まさか。だとしたら入り口近くの本に躓いてこけているはずだ。
 サタンの部屋は、汚くはないけれどきれいな部屋では無い。積み上げられた本の山は部屋の至る所に大小様々な塔を作る。そんな状態の部屋をきれいにベッドまで歩ききれるわけもない。
 推理に推理を重ねても、まったく答えが見えてこない。黙りこくる私に彼は楽しそうに笑う。笑いながらずっと、頬を撫でている。
 その最中、すんとなにかが香った。古紙の匂いで満たされたこの部屋には似つかわしい、つんとした、覚えのある香りだ。常闇のこの世界ではランプでも付けなければ暗いままだけれど、サタンの部屋の、特に窓際は月明かりがよく差し込みとても明るい。そうして月明かりに照らされた彼の顔は、薄らと赤い。
「どうした?」
 サタンが呟く。吐息に混じる、僅かなアルコールの香り。
「……サタン、随分と飲んだ?」
「どうだろうな」
 彼は笑う。そうして指先で私の頬を擦りながら「リビングルームで寝ていたら、掠われてしまうぞ」と笑う。なるほど、寝ていた私を連れてきたのか。状況はわかったけれど、理由はわからない。それこそ『行間を読め』ばわかるのだろうが、残念ながらこれはサタンの書いたお話では無い。けれど――。
「……言わないとわからないけど」
「人間は随分と頭が悪い」
「そりゃあ何百年も生きてないもんで。ほら、寒いから布団に入ろう?」
 この状況が、あまり芳しくないことくらいはわかる。布団を捲ればサタンは面食らったように目を瞬かせ、そうして楽しそうに笑った。いつもなら、調子に乗るなよ、だとか、この俺に指図するのか、なんて憎まれ口が飛んでくるところだけれど、サタンは素直に布団の中に入る。どうやらかなり酔っているらしい。布団の中で沿うように丸くなるその姿を、できるだけ刺激しないように掛け布団をかけてやる。
「きみは」
「うん」
「ほんとうに、ばかだな」
 とろとろと、溶けたような言葉だった。辛辣な字面からは想像できないほど柔らかな物言いで、彼は嬉しそうに笑う。窓越しの月夜が眩しいのか目を細めて、布団の中の私の指を握りながら微笑む。そうして一呼吸。瞼を閉じた彼は、指を絡めたまますうすうと寝息を立て始めた。
「(起きて酔いがさめたら、すごく怒られそう)」
 しかししっかりと繋がれた指は簡単に解けそうも無い。観念した私はそのまま、彼の隣に寝転んだ。
 この後の展開なんてページを捲らなければわかりっこない。だとしたら今の私に出来ることは、彼が起きるまで、大人しく本を閉じるくらいだろう。