この部屋よりも、読書に適した場所はあるはずだった。暖炉が炊いてあるリビングルーム。この本の主であるサタンの部屋。もちろん自室だって候補の一つだけれど、私はマモンの部屋で本を読んでいる。
当初はいろいろな物音が響くこの部屋で本を読むことなんて、嫌だったはずなのに。しかし回数を重ねるにつれ大人しくなっていく部屋の主の努力の結果か、それとも私が単に慣れたのかはわからない。わからないけれど、今では彼に連れられることなく、本を借りたらまっすぐにマモンの部屋を訪ねるようになってしまった。
ふう、と一息つけば、随分と喉が渇いていることに気がついた。まだまだ本は中盤で終わりは見えないけれど、疲れた目が休憩を促している。背もたれに身体を預けて瞼を閉じれば、軽い頭痛が襲ってくる。暗闇の中「何か飲むか」と降ってくる声に素直に頷けば、ソファが軽く上下した。足音と、グラスがかち合う音。液体の流れる音が響いて、足音がまた戻ってくる。
「ん」
「ありがと」
マモンは存在を無下にしていることを怒った様子もなく、自身もグラスを持ってソファに沈んだ。「集中してたな」と零れる声に「うん」と私も声を漏らす。一口水を飲み込めば、乾いた喉にするりと通り抜けていく。一息ついて、また水を飲む。集中してた分、身体が水分を欲している。
「まだ中盤だけどね。マモンは? すごく端末震えてたけど」
「見てない」
「ええ……怒られるんじゃない?」
「しらねえ。そんときはそんときだろ」
まるで取るに足らないことのように言ってのけるけれど、正直な視線は一度だけ端末の方へと向いた。しかしすぐに視線をこちらに寄越すと「で、お前はまだ読むのかよ」と彼はソファの背もたれに手を回す。まるで構えと全身で訴えるように、足を組み、真直に視線を投げつけてくる。
しかし私は視線を逸らして、両足の上に置いた文庫本を見つめた。正直なところを言うと、休憩を挟んでまだ読みたいと思っている。でもそれはこの部屋の主が怒ってしまうだろうか。
彼へと視線を投げれば、私の意図を汲んだのか「……わかったよ」と彼は肩を落とす。無理矢理遊びに巻き込むでもなく、自身の興味のあるジャンルへ引き込むことなく、素直に折れて水を一杯煽った。その横顔に、強欲の欠片もない。
「……邪魔だったら、部屋に戻るけど」
「お前それわかって言ってんだろ」
マモンが顔を歪めて、そうしてグラスを机の上に置いた。そうしてその場に寝転び、余った足をソファから投げ出した。あくびを浮かべて、瞼を上下させる。長いまつげがゆらゆらと揺れる。
「……もうちょっと読んだら、なにか遊ぶ?」
「別にいい。ただ、読み終わるまでここに居ろよ」
彼はそう言って会話を終える。沈黙が流れて、私もグラスを机の上に置いて、本を開く。
凪いだ空気が部屋に流れ始めた。この空気、嫌いじゃない。それだけがこの部屋で本を読む理由ではないけれど――まだ、その理由だけでいい。