DropFrame

おにぎりとレヴィと留学生ちゃんの話

 焼き鮭の皮目をめくる。身を木べらで押し込めば、切り身は簡単にぼろぼろとほぐれていった。
 いつもは賑やかな館も、休日の昼には表情が変わる。しんと静まった廊下。大体兄弟たちは休日のお昼に出払っているので、物音一つ聞こえないことも珍しくない。寝過ごした朝は食べるものは残っておらず、昼ご飯とも朝ご飯ともとれない微妙な時間に、私はキッチンにいた。
 こんな時間帯のご飯は、ブランチと言うんだっけか。ほぐれた鮭に、おぼろげに覚えている量の調味料を入れる。鮭はちゃんとAkuzonで頼んだから(おそらく)人間界のものだけれど、調味料は魔界産だ。おおよそに味の同じ調味料を入れて、木べらでかき混ぜる。
 よくこうやって寝坊した朝に、そしておなかが減ってしまった夕方に、残った切り身を勝手に使って作ったっけ。
 混ぜるたびに懐かしい思い出が、浮かんでは消えていく。その景色の先に家族や、友人の顔。予想はしていたけれど、懐かしい料理を作ればほんの少し寂しさがつのる。
 いりごまを入れかき混ぜて、ひとかけら味見。思い出よりも少し塩っ気が強い気もするけれど、許容範囲だろう。あらかじめ火にかけておいた鍋を開けば、白い湯気が空気に溶ける。

「それ僕にも」

 そうして作ろうとした矢先、声をかけられた。眉の寄った顔に真一文字に締められた唇。レヴィはおはようもこんにちはもなくそう言うと、返事を待たずにキッチンの椅子に腰を下ろす。居たんだ、という気持ちと驚きで閉口する私に「だめなの?」と声。そうしてレヴィはボウルの中にある鮭のフレークをのぞき込み、私の方へと視線を向けた。

「だめじゃないけど、魔界の料理じゃないよ?」
「何作るの? 僕も食べたことあるやつ?」
「……おにぎり」

 料理と言っていいかわからないけれど。私の言葉にレヴィの瞳が僅かに輝き「それって」と呪文のように長い言葉を連ねる。知らないけれど、多分どこかのアニメのタイトルだろう。まくし立てるような言葉に「どうだろ」と返せば、我に返ったように「ふうん、でも食べる」とレヴィは素っ気なく言葉を吐いた。ほんの少し恥ずかしいのか、顔ごとそっぽを向いている。
 そうして、しばしの沈黙。壁のほうを見つめていたレヴィはやはりこちらが気になるのか、いりごまを足そうとする私に視線を投げた。ざらざらとごまが流れる中、視線がかち合う。ごまの袋をあげて、木べらでぐるぐる和え始める私に、彼は唇を尖らせた。

「――おまえは寝坊して知らないだろうけど、今日の朝食、酷かったんだ」
「そうなの? ゲテモノ系?」
「いや、僕が行ったときにはもうほとんどベールに食われてて」
「……ってことはレヴィも寝坊?」

 沈黙は雄弁だ。返ってこない言葉に笑えば「おまえもだろ」と悔し紛れの言葉。この館の朝ご飯の時間は実にシビアだ。RADがある日は学食もあるけれど、乗り遅れた休日は容赦なく食いっぱぐれてしまう。

「作ってるの一人分の量だから、ちょっと少ないかも」

 湯気の燻る米を鮭と別のボウルへ入れる。木べらでほぐしながらレヴィを見れば、湯気の向こうで視線が合った。「なら少なめでいいよ」と彼。出会った当初は目を合わせたらすぐ逸らされたのに。軟化する彼の変化に、自然と口角が上がってしまう。

「そう。あと手で触っちゃう料理ですが、よろしい?」
「見たことあるから知ってる」

 米を炊いていた鍋になみなみと水を入れて机に並べる。レヴィはそわそわと材料たちを覗き込みながら「よく食べてたのか?」と声に興奮を滲ませた。私にとっては何気ない料理だけれど、彼にとっては所謂『あのアニメの料理を再現しました』状態なのだろう。苦笑を浮かべて、手を水に浸ける。まだ炊いた熱を持っているのか、水は仄かに温かい。

「うん、よく食べてたよ。簡単だし」
「そっか」

 一握り、米をつかんで手のひらで形を整えていく。木べらでひとすくい分の鮭を入れて丸めていけば、その手さばきにレヴィの視線が集中した。たいしたことをしてないけれど、随分と恥ずかしい。
 少し不格好な、三角とも丸とも言えない形のおにぎりを皿の上にのせれば「あれはないのか?」と逸るような言葉。あれ。首を傾げれば、もどかしそうにレヴィが眉を寄せる。

「ほらあれだよあれ! オニギリにはつきものだろう?!」
「え、なんだろう。お味噌汁とか、お漬物とか……?」
「そうじゃない! ……それもたべたいけどそうじゃなくて!」

 指先で四角を作り「黒い……!」と彼は言う。「海苔のこと?」と私が言うと「そう、それ! ノリ!」と彼は声を上げた。そういえば買ってなかったなあ。見回す私になにかを悟ったのか、レヴィは落胆のため息を吐き出す。

「次は用意しとくね」

 前髪の隙間から、乞うような視線が飛んでくる。黙って頷く彼に、忘れないようにしよう、と私はまた水に手をつける。米を握れば、ふわりと優しい香りが鼻孔をくすぐった。鮭を掬い隠すように握れば、レヴィが私と、そして握り終わったおにぎりを交互に見つめている。

「……食べていいよ?」
「いやまって。握り終わったのを三つ並べたのを写真に撮りたい! ああその前にフィギュアも並べたほうがいいかな?! いやでもノリがないとなあ……! それに」
「冷めたらおいしくなくなるよ」

 私の一言に、レヴィの顔がこちらを向く。大体私も食べたいし。米の残量的にあと三つは握れるだろうけれど、そろそろ空腹で胃がやられそうだ。
 しばらく葛藤したレヴィは、そろそろとおにぎりをつかんで口に運んだ。味よりも先に興奮がくるらしい。呪文のように垂れ流す(おそらく)嬉しそうな言葉の数々に、私も皿にのったおにぎりを口に放り込む。ほろりと崩れるお米。いつもよりも塩辛い鮭も、米が見事に中和してくれる。
 郷土料理を作れば寂しくなってしまうかも、なんて心配していたけれど、全くそんなこともなかったな。はやくはやくと次を強請るレヴィに笑いながら、私は手を水に浸す。次はもっと種類を作ってあげよう。なんならそのアニメを一緒に見ながら食べたっていい。賑やかにこちらを見守る彼の姿に、また頬が緩んでいく。それまでにきれいな三角を握れるように練習しないと。
 不格好なおにぎりを皿の上にのせれば、カシャリとシャッター音。「とりあえず自慢」と跳ねる声。
 水に手を浸せば、米粒がいくつか水に落ちた。水流に乗ってくるりと泳ぐそれを見送って、私は残り少なくなったお米に手を伸ばした。