DropFrame

閃光のように煌めく人生

 彼らの縮尺と私のそれとは大きな隔たりがある。例えば私の百年二百年なんて一生をはみ出るほどの膨大な時間であるはずなのに、彼らの百年二百年というのはとるに足らない時間となる。おそらく私の感覚にして数時間、長く見積もっても数日程度のものなのだろう。確かに同じ時と、同じように過ごしているのに、不思議な話だ。そして不思議と感じると同時に、とても悲しくなる。
 笑ったり怒ったり、泣いたり安らいだり。喧嘩したりくっついたり、また離れたりして、同じ時間を共有しているはずなのに、時間の重みは確かに違う。

 テレビだけが光源の部屋。淡く光を放つ間接照明すらいまは光を落とし、薄暗闇の中、ぼんやりと私たちを見下ろしている。脱ぎ散らかしてあった服はすべてまとめて一人用のソファに重ねておいた。わざわざ対面式のソファで寄り添って座るのも変な話だけれど、いつの間にかそうなってしまったのだから仕方がない。
 ガラステーブルの上には酒瓶が行儀よく並んでいる。どれも違う銘柄だけれど、なにひとつ読める文字がない。コレクションにしているのかと聞けばただ単に不精なだけだったので、今度のごみに混ぜてやらないとな、なんて考える。マモンの部屋に遊びに来たらまず整頓から始める私に(そうでないと座る場所が確保できない場合があるからだ)彼は不思議そうに「人間ってのはよく働くもんだなあ」なんて感心して声を漏らす。そうじゃないと言いたかったけれど、不思議なことに私が片付け始めると彼も動き出すので、あまり余計な文句は言わないようにしている。

 そんなわけで二人で簡単に片づけた部屋で、私たちは映画を見ていた。手持無沙汰だから、なんてどこからかマモンが引っ張り出してきたお菓子は知らない名前の魚の骨だそうだ。試しに一口食べてみれば、案外食べられることがわかる。パーティ開けした袋を二人でつつきながら、肩を寄せて映画を見る。
 映画は、過激なアクション映画だった。ジープで荒野を走る主人公たちは、街へと寄っては奔放に問題を解決していく。それは推理などではなくアクションに重きを置いたもので、大体は悪い地主に弱っている村人たちを、力で解決していく話だ。推理ものだったらサタンが喜んでいただろうに、と思いつつも、マモンが選んだだけあって、彼色がとても強い。助けた村人から地主よりも高い『お助け料』をかっさらっていくところなんて本当に『強欲』の塊で、そのたびにマモンは楽しそうに声を漏らす。

 そうして旅をしていく最中に、昔倒した地主の手下が追いかけてくる。煌々と照らす太陽。岩の輪郭を舐めるように輝く陽光の筋から、容赦ない爆弾が投げられる。ジープはそれを機敏に交わし、主人公たちは車に乗りながら交戦を続ける。主人公側が四人、敵は何百体。それをばったばったなぎ倒していく様はなんとも胸がすく思いだ。しかしそのあと、倒れた骸をジープで引き飛ばしていくシーンは倫理観の違いに胸やけがしてしまう。興奮に蹴飛ばされて歓声を漏らすマモンの声を聴きながら、私は魚の骨に手を伸ばす。

「……私は、死んだら骨くらいは拾ってほしいかも」
「骨を拾う文化がそっちにはあんのか?」

 文化の起源を問われれば困ってしまうが、ネットスラングになっている以上なにかしらの元ネタがあるのだろう。「多分」とだけ答えれば「オイオイなんだよわかってねえのか」なんて呆れた声が降ってきた。そういわれたって知らないし、調べる術はない。D.D.D.はここいらのネットはつながっているけれど、人間界のホームページにアクセスするにはちょっとしたテクニックが必要らしいし。
 ソファに深くもたれかかれば「拗ねんなよ」とマモンの声。拗ねてないですけど、と心の中で悪態を吐きながら、映画の続きへと視線を投げる。
 スクリーンの向こうで積み上がる骸たち。その骸をゴミのように轢いて行くジープは、煙を上げて荒野を走る。軽佻な車のスピードに乗せてギターの音が走り、ドラムがそれを追いかける。軽やかなリズムはどこまでも、景色が流れるたび、動かない骸もカメラの向こうへと消えていく。彼らに死者を悼む気持ちはあるのだろうか。所詮フィクションであるとはわかっていても、あまりの敵役の扱いに同情してしまう。
 ぱり、と耳元で音がする。マモンが魚の骨を砕いた音だ。私が映画を見ているうちに少しこちらへと寄ってきたらしく、耳元の近くに彼の唇があった。

「ま、死んだら骨くらいはそっちに遺してやるよ。魂はだめだな。俺が貰う」

 魚の骨を砕きながら、マモンは肩に手を回す。驚きと、そしていつもは跳ね除けるその温もりが妙に居心地が良くて、身を縮めれば力のままに引き寄せられてしまった。
 あまりに軽々しく引き寄せられたことに驚いているのか、マモンは目を瞬かせながらこちらを見下ろした。人よりも少し冷たい、だけど心地よい体温に体重を乗せれば、私よりも一回り大きな手が肩を包む。
 耳元で食んでいた音が止まり、代わりに生唾を飲み込む音がよく聞こえた。すぐ横に彼の首元。僅かに上下する喉仏とともに、肩を抱いている手に力が籠る。

「(たましい)」

 悪魔の契約みたいだ。昔読んだ小説を思い出しながら、マモンを見上げる。わざと視線を外しているのか、視線は合わない。だけども彼の瞳はよく見える。海に似た、深い青。三日月のように浮かぶ黄色が困ったように揺れ動いている。
 明朗なギターはベースの音に重なり、エンジン音に色を差す。彷徨っていたマモンの瞳が、ただじっと見上げていた私を捉える。交わる視線。固まったように動かない。映画は一番の盛り上がりを見せているはずなのに、私たちはお互いの瞳をじっと、ただただ見つめる。音を吸い込んだように、自然と耳は映画を遠ざける。ひとつ、呼吸が重なる。

「……俺がもらう、って」

 緊張した空気を緩めたのは私だった。意気地なし、と彼に思うこともあるけれど、私も大概だ。か細い笑いを零しながら、舌の根まで出かかった、私のこと忘れないでくれる? なんて妄言を飲み込む。

「その頃までに一人暮らし出来てたらいいけど」
「たった三百年くらいだろ、んなもん余裕だし」
「人間の寿命は長くても百年でーす」
「あ?! もっと頑張れよ!」

 肩に触れた手を叩けば、緊張した空気は霧散してしまった。遠のいていた映画の音はまた鼓膜を揺らし始め、緊張に震えていたマモンの大きな手は肩から離れ、文句を言いながら魚の骨に手を伸ばす。私も彼に倣って骨に手を伸ばして、ばりばりと口の中で砕く。いつの間にか主人公たちは次の村へと到着しており、新しい寝床で、この村の財産を見積もりながら口の端をあげている。

ーーま、死んだら骨くらいはそっちに遺してやるよ。

 鼓膜を揺らした言葉を、頭の中で何度も反芻する。映画を見ててよかった。横並びでよかった。こんな緩んだ顔を、彼に見られたらそれこそ恥だ。
 ばりばりと緊張感のない音がする。映画の向こうで夜が明ける。背中越しにマモンの体温が滲み、そのたびに、どくりと心臓がはねてしまう。

ーー魂はだめだな。俺が貰う。

 その言葉だけで、あと八十年くらいは余裕で生きていけそうだ。ほんとうに、悔しいけれど。